ほんとに雑文だなぁ。

こないだ屋根なしフェラーリに遭遇した。かなり新しいものではないだろうか。黄色。いいなぁ、と思ったのもつかの間。混雑のなかを窮屈そうに進んでゆく。吹けきらない排気音がうつろに響く。
東京、とりわけ23区内の道路からは自家用自動車を排斥してしまってもいいのではないだろうか、などと過激な考えが湧いてきた。大都市間の物流は鉄道への回帰を見せ始めている。自動車は面白いけれど、エミッションがあまりにも大きいよな。オケの練習にも自転車で行けるようもくろんでいるところだ。
フェラーリで思い出した。F1で1レース1エンジンという規則が今季から適用されている。さまざまな駆け引きが面白い。……はずなのだが、今シーズン決勝レースを最初から最後まで見通したことがない。疲れちゃっててね。
F1サーカスを追っかける情熱が冷めてきちゃったかしら。
普通のテレビニュースなんかで楽しみを伝える努力をしてくれているんですよ。それなのにあまり燃えてません。いや、燃えてないわけでもないか。
どうして最後まで見れないんでしょう。すごく疲れませんか?モータースポーツの観戦って。とくにテレビ観戦だと。自分が見つめていたいものばかりを映してくれるわけではないですものね。
F1というのはドライバー同士の戦いであって、ただでさえ見えないドライバーの肉体や精神で起こっている戦いをクルマの動きとして感じ取ることが難しいから、それで疲れるのかも知れません。